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福岡地方裁判所 昭和44年(ソ)4号 決定 1969年7月08日

抗告人 松井三郎

相手方 有限会社西酪運輸

右代表者代表取締役 福田元

主文

原裁判を取消す。

本件を小倉簡易裁判所に差戻す。

理由

本件記録によれば、抗告人の原裁判所に対する本件和解申立の趣意については、申立人において将来自己使用する計画のある申立人所有土地につき、当該和解申立の相手方より、自動車々庫及び簡易事務所の設置場所としてこれを一時使用したい旨の申入れがあり、当事者双方協議の結果、和解成立の見込となったが、将来の紛争を予防するため和解申立をなすものであるとし、その申立書において当該成立見込の和解条項案を特定掲記していること、右和解条項においては、右土地の賃貸借契約の一般的内容、賃借人の賃料支払義務不履行のときの賃貸人の解除権、無断での賃借物現状変更、用途変更賃貸もしくは賃借権譲渡の各禁止、賃貸借終了の場合に賃借人は地上工作物収去等原状回復をなすべきこと、及び移転料不請求の定めがあるほか、右賃貸借が一時使用のための賃貸借であることを明示するものであること等の記載があったが、右申立に対し原裁判所は、右和解申立事件における当事者双方出頭の第一回期日において民事訴訟法三五六条所定の「民事上の争い」がないものとして右申立を却下したことが認められる。

本件抗告の趣旨および理由は別紙のとおりであるが、これを要するに、本件申立に係る和解の対象たる権利関係についてはすでに、将来における紛争発生の可能性が予測しうるものであり、従って将来の訴訟防止の目的でなされた本件和解申立は要件を具備しているにも拘らず、なんらの釈明も求めることなく、直ちに民事上の争いがないとしてこれを却下した原裁判は不当であるというものであって、原裁判所が右申立却下の裁判をなすにつき、当事者からの事情聴取その他により争いの有無及び実情、和解の内容等につきなんらかの調査をしたことは、記録上全く窺い得ないところである。

本件申立に係る民事訴訟法三五六条所定の和解が将来における訴訟防止を一つの目的とするものであることは明らかであり、同条の規定における右目的に照し、同条所定の「民事上の争い」とは権利関係の存否内容および範囲についての現在の紛争に限られるものでなく、権利関係についての不確実、将来における権利実行の不安全もこれに含まれると解すべきである。

本件和解申立の内容たる一時使用のための土地賃貸借の関係においては、殊にそれが一時使用のための賃貸借であるか否かについては、これが訴訟上の争点として争われる事例が少なからず見受けられる実情に鑑み、他に特段の事情を認めるべき資料のない本件においては一応将来の紛争発生の可能性を予測しうる権利関係の不確実または将来の権利関係実行の不安全の存する場合として、同条所定の「民事上の争い」ある場合と認めるのが相当である。

もっとも、本件記録中の原裁判所の意見書の記載によれば、原裁判所は、同条所定の和解については、その申立前すでに当事者間に特定の法律関係が、確定的に設定されている場合に限り、これを申立て得るもので、新たに設定される法律関係についてなされる申立はすべて同条にいう「民事上の争い」の要件を欠くものであると解し、本件和解申立はその申立書の記載自体によれば新たな賃貸借の合意をなすに当りなされたものであるから、借地法の規定を僣脱し、あらかじめ債務名義を獲得することのみを目的とするものとし、従って前記要件を欠くものとの判断のもとに、本件申立を却下したものであることが窺われる。

然し乍ら本件和解申立書自体によっても、当事者双方協議の結果、本件申立をなすに至ったというのであるから、右申立は、当事者間に事前に賃貸借に関する一応の合意がなされたうえ、これについてその内容を明確にして将来の紛争を予防するためになされた申立と解しうる余地がないでもなく、当事者間に全く既存の法律関係がないと即断し難いところである。この点は暫く措くとしても、申立に係る法律関係について、権利関係の不確実または将来の権利実行の不安全が存する限りは、当該和解の成立によりはじめて新たな権利関係の設定がなされる場合でも、一旦合意成立により権利関係が設定されて後和解の申立をなす場合でも、将来の紛争防止の必要ある点においては、右両者はなんら異なるところはなく、民事訴訟法三五六条における右規定の前記目的に照すときは訴訟防止のための和解について、特に前者を除外して後者の場合のみ要件ありとし、前者については、後に紛争の生じるのを待って然る後、はじめて訴訟により解決すべきものとしなければならない理由はない。

また、和解の申立が借地法等の強行規定を僣脱して債務名義を獲得するためにのみなされる場合は、前同条所定の「民事上の争い」の要件の存否とは別個の、申立権の濫用等の問題であって、この様な場合当該申立を却下すべきことは当然であるが、本件申立がこれに当ると認めるべき資料は全く存しない。

尚、本件申立書に特定掲記されている和解条項案自体によれば、賃貸借終了の場合に土地引渡の債務名義となるものとは、必ずしも認め難い。

本件和解の申立について、さらに同条所定の要件の不存在または強行規定違背等の違法の疑いがあるならば、原裁判所としては、すべからく職権により、当事者双方からの事情聴取その他の方法によりその点の調査をしたうえ、申立事件を処理すべきものであり、それにも拘らず、なんらの調査をすることなく、たやすく本件申立を不適法と断定して軽々に却下の措置に出た原裁判は民事訴訟法三五六条の規定の解釈を誤り、また、調査不充分により申立の適否に関する事実を誤認してなした不当の裁判というべきであって、本件抗告は理由あるものと言わねばならない。

そこで原裁判を取消し本件を原裁判所に差戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 安東勝 裁判官 渡辺惺 蜂谷尚久)

<以下省略>

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